見えない世界の話。POSE

 

 

6月に入って、SNSで虹色の旗を振り街を歩く人々を何度となく見かけるようになり、彼らのコミュニティの結びつきの強さに、日々羨望の眼差しを注いでいる。

 

これから紹介するPOSEは、80年代のニューヨークで、そんなLGBTQ+コミュニティで戦った人たちの物語だ。

 

POSEを見始めたきっかけは、ただひとつ。

ライアン・マーフィーが製作総指揮だから。

2010年、一世を風靡した学園ドラマgleeでも制作総指揮を務めていた彼は、多様な人種、セクシュアル・マイノリティ、身体障碍者を繊細に、かつごく普通に描き切っていた。

そんなイケイケなドラマをみて小学校時代を過ごした私は、メディアで描かれるマイノリティの在り方を常に意識しながら作品を楽しむ癖がついていた。ハリウッド映画に出てくる、あるいは一切出てこないアジア系の人種、"ゲイっぽい"ことを理由にいじめられる役。メインとして描かれることのない彼らのコミュニティに寄り添って、共感して、わかったつもりになっていた。

 

だけど、”女装をした男性”のことはどうだったんだろう。今まで一度も、テレビに出てきた彼らのことを笑ったことがなかったのかと聞かれたら、答えは間違いなくノーだ。だけど冷静に考えて、彼らの、彼女たちの、何が面白いのかと聞かれれば答えられない。

 

そして私は今まで見えていなかった、見ようとすらしていなかった世界の現実を、このPOSEという作品で目の当たりにすることになった。

 

舞台は1980年代後半のアメリカ・ニューヨーク。ダンスの才能あふれる青年・デーモンが、父親に隠れてバレエ教室に通っていたことを理由に家を追い出されるシーンから、この物語ははじまる。

行き場のないデーモンは、公園の広場で野宿をしながらストリートダンスを披露する日々を送っていたが、そこにたまたま通りかかったトランス女性・ブランカの目に止まる。ブランカはダンスとファッションを競う場であるボールで活動しながら日々を過ごしていたが、新しく自分のハウス(ボールで活動するグループ)を作るため、メンバーを探しているところだった。

 

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ずっと、自分たちのコミュニティを大切に、団結して声を上げる彼らのことを羨ましいと思っていた。私はそんなに自分自身に誇りを持てたことがなかったから。

だけどこのドラマで描かれる当時の彼らは、団結しないと生きていけなかったんだと気づかされた。「仲間割れしてる場合?」というセリフが頻繁にあるのも、彼らの戦う相手は目の前にいる友達や敵対する他のハウスじゃなくて、社会そのものであるということを顕著に表していた。

誇りを持たなきゃやってられない。親友が不治の病に侵されても、理不尽すぎる死に直面しても、前を向いて、ひたすらに私たちの権利を主張し続けるしかない。強くなければ生きていけなかったこの時代に、社会から疎外された彼女たちの生き様に胸が震える。

 

POSE (2018)

Netflixでシーズン2まで配信中